チンピングは、いとにくし。いみじう、わろし。


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昨日の記事を上げた後、背面液晶のないライカM60で話題になったチンピングも清少納言だったら「チンピングは、いとにくし。いみじう、わろし。」とか書きそうだとふと思いました

ライカのCEOがチンピングと言い出したのって「上級者ほど粋にライカを使いこなして被写体と対峙し続けろよ?撮影直後に背面液晶見るのはダサい!何のための素通しファインダーだ?効率厨はニコンでも使ってろ!」っていう「カメラを見ずに指が勝手に動いて操作できるまで習熟せよ」っていう古典的なライカの教えに則った話だと思うんですが、現代文でそう書かれても「知らねーよ?好きに使わせろ!」ってなりますけど枕草子風に書くと急になんかダメなことやってるっぽくなります

「写し取りてのち、すぐさまうしろの面を覗き込み、ことさらに眉をひそめ、また同じ所を写す人、いとにくし。いまだその景色そこにあればとて、心はすでに失せにけり。」
(翻訳 : シャッターを切った直後に画面をのぞき込み、いかにも不満そうな顔で同じ場所を何度も撮る人ほど無粋なものはない。景色が残っていようが関係なく、その人の集中も感動ももう失われているのだ。)

「かかることは、いふかひなき者の際にやと思へど、少しよろしき者の、ライカの使い手などいひしが、せしなり。いみじう、わろし。」
(翻訳 : こうした無粋な振る舞いは初心者がやるものだと思っていた。それなのに「ライカの使い手」などと誇らしげに語り、少しは分別があると思われていた人物がやっているのだから呆れるほかない。とてもみっともない。)

センスがあるハズとされている人がセンスのないことをするのを1,000年後の今にまで伝わるレベルで盛大にグチってる清少納言はきっとこう書くと思います
現代的な文章で書かれるとチンピングの何が悪いんだよ?と感じますが、枕草子的な文章にするとライカという美しい道具で行うチンピングが美しくない所作だととても伝わりやすいですね
ライカカメラジャパン様におかれましては清少納言さんにコピーライティングを依頼するとディスプレイを外す思想が正しく伝わって良いと思いました

ついでに伝統に固執してモタモタするのより、唐の最新技術が好きだったり漢詩での問いかけに御簾を帳を上げることスマートに返答するのをヨシとする清少納言は、OVFを廃してEVFにしたEV1が出たのを見てこう書くと思います

「OVFを貴びて、撮り損じを重ね、眉をひそめて液晶を覗くは、ただの強情なり。EV1にて、さらりと写し果てるこそ、現代の世のまことの雅なれ。」
(翻訳 : 伝統にこだわって失敗しチンピングを繰り返すのは単なる意地っ張り。EV1のEVFでサラッと完璧に撮り終えることこそ今の時代の真の風流。)

よく上げられる冒頭の「春はあけぼの。」とかの辺りはツマランですけど、「こういう奴いるよね!」とか「こういうのホント無理!」とか書いてる部分は面白いのでそっちを読むと興味が湧くかと思いますよ
ちなみにボクはZ8で高速連写してチンピングするのが大好きです