僕が言いたいのは「永遠」で正しいのではないか?


RAW File

ダルビッシュさんのこのツイートですね
正しい日本語よりも表現したいニュアンスをこれ以上ない短文で発する様が詩人かなにかか?なんて当時は思ってたんですが、むしろ最近は「永遠」こそが意味として正しいと思えてきました
これ日本語の問題じゃなくてダルさんの観測宇宙における真理の確定を宣言してるんじゃないですか?

ダルさんから見るおっちゃんは常に「泳いでいる状態」で観測されてて、観測していない間は重ね合わせで見えないけど、少なくとも泳いでいないおっちゃんは観測されていないので、「おっちゃんは泳いでいる」のが観測結果からの不変の真理だから、光速をcと定数で表現するように比較や検証の対象から外れた定数だと表現するために「永遠」って念を押したと思うんですよ
要するにダルさんの観測ではおっちゃんはプールという空間に付随する不変の定数で、おっちゃんの存在そのものが泳ぎという真理に収束してると宣言するために「永遠」を使ってるんじゃないかってことですね

ダルさんの観測結果を否定する「おっちゃんは延々泳いでるんだよ派」や「おっちゃんは遠泳してるんだよ派」は時間や距離でおっちゃんが泳ぎ終わると言いたいんだろうけど、「泳いでいない状態のおっちゃん」というダルさんに観測されていない仮定を持ち出しているのは怠慢じゃありません?
日本語がどーと言うのではなくダルさんを永遠派の観測者として尊重した上で「泳いでいない状態のおっちゃん」をダルさんの前に連れて行くのが延々派や遠泳派の反論の姿勢として正しいかと思います
泳いでないおっちゃんはダルさんの観測宇宙では存在論的に削除されてるので、ダルさんの観測外でプールサイドに上がって一息入れてて泳いでいない状態のおっちゃんをボクたちが発見してダルさんのところに連れて行っても、ダルさんに観測された瞬間には泳いでる状態に収束するハズです
これはもう「永遠」としか文字を置けないのではありませんか?

ふと気がついて書き出した今日のブログですが、ボクはアヤフヤな日本語を国語辞典でブン殴るのではなく、ダルビッシュさんの瞳に映る永遠に泳ぎに収束し続けるおっちゃんを応援したいと思いました